
山本成美

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舟を編む

この作品は、2012年本屋大賞に輝いた三浦しをんの小説を石井裕也監督が実写映画化したものであり、辞書の編纂という一見地味な仕事にスポットライトを当てている。世の中に無数にある言葉を海とするならば、その海を不自由なく渡るためには辞書という舟が必要不可欠であり、本作はその辞書が出来上がるまでの十数年を描いている。
主人公は、玄武書房という出版社に勤める馬締光也という男である。律儀で真面目だが、不器用で人と会話をするのが苦手な馬締は、営業部で変わり者として持て余されていた。しかし、下宿先のアパートを本で埋め尽くし、大学院で言語学を専攻するほど「言葉」に興味を抱いており、人とは違う視点から言葉を捉える鋭い感覚を買われ、新しい辞書「大渡海」を編纂する辞書編集部に迎えられる。そこには、定年間近のベテラン編集者から女性誌から異動してきた若い女性編集者、次第に辞書作りに愛着を持ち始めるチャラ男まで、世代も性別も異なる面々が集まっており、馬締は彼らの影響を受けながら辞書の世界に没頭していく。
本作では常に用例採集カードを持ち歩いたり、辞書を印刷する紙にまでこだわったりする登場人物たちの姿が印象的で、辞書作りの奥深さに気付かされる。加えて、日常のふとした言葉の語釈一つ一つに頭を悩ませて議論する彼らを見て、普段当たり前に使っている言葉の意味の共通認識を、違う表現で簡潔に表す難しさを改めて感じさせられる。また、最初は人とうまく関係を築けなかった馬締が、辞書作りを通して周囲の人々とつながり合い、人間として成長していくのも本作の見どころである。言葉の持つ力や、言葉で気持ちを伝える大切さを改めて考えさせられる、とてもあたたかい作品である。
ラーゲリより愛を込めて

本作は、第二次世界大戦後に極寒のシベリアの強制収容所に抑留された、日本人捕虜たちの苦難と希望を描いた作品である。主人公の山本幡男は、ロシア語に堪能な元満鉄調査部員で、事実無根のスパイ容疑により、妻と4人の子どもを日本に残してラーゲリに収容される。ラーゲリの劣悪な環境により栄養失調で死ぬ者、自殺する者、さらには日本人抑留者同士の争いも耐えない中、山本は日本にいる妻モジミと約束した帰国(ダモイ)を誰よりも強く信じ、仲間たちに生きることへの希望を強く唱え続け、励まし続ける。そんな山本の仲間思いの行動と信念が、希望を見失いつつあった日本人たちの心を動かしていく。
本作では、それぞれ違うバックグラウンドを持つ登場人物たちが、山本に勇気付けられ、成長していく様子が面白い。山本と同じ一等兵である松田は、戦場で足がすくみ戦闘に参加できず、目の前で友人を亡くした経験から、自らを卑怯者と思い込む。しかし、自分の身の安全を省みず仲間のために行動する山本の姿を見て、そんな自分を変えたいと奮闘する。他にも、ラーゲリ内においても軍人時代の「軍曹」という自らの階級にこだわり高圧的な態度をとる相沢や、生まれつき足が不自由だが優しい心と学びへの意欲を持つ新谷など、多種多様な背景を持つ仲間たちが、山本の強い信念に心を動かされ、生きる希望を見出していく。
また、ラーゲリ内では情報を残すことが禁じられており、手紙はもちろん日記も没収されてしまう環境の中、山本の「思考は誰にも奪えない」という言葉が強く印象に残っている。絶望的な状況の中でも、考えることをやめずに希望を見出し続ける姿に感動せずにはいられない。当たり前の日々を過ごせる幸せや一生懸命に生きることの大切さ、大事な人がそばにいるありがたさを考えさせられる作品である。
君の膵臓をたべたい

本作は、住野よる原作のベストセラー「君の膵臓をたべたい」を実写映画化したものである。高校教師生活6年目を迎えた志賀春樹こと【僕】は教師を辞めることを考えながらぼんやりとした日々を過ごしていたが、ふとかつて唯一の「友達」だった山内桜良の事を思い出すところから物語は始まる。内気な性格の【僕】とは対照的にクラスの人気者だった桜良は誰にも言えない秘密を抱えていて、【僕】は偶然その秘密を知ってしまう。それは、桜良は膵臓の病気を患っていて、余命僅かであることだった。桜良は秘密を知られたことと引き換えに、「死ぬまでにやりたいこと」に【僕】を付き合わせ、2人は仲を深めていく。そして思わぬ形で2人の別れはやってくる。
この映画は主人公【僕】の一人称で進行し、映画の終盤で初めてその名前が明かされる。私はこのような演出にすることで、見ている人の共感を得やすくするだけでなく、【僕】という表現で主人公が唯一無二の存在ではなく不特定多数の中の1人であることを表現し、【僕】の消極的で自信のない性格を表しているのではないかと考えた。また私はこの映画を見て、「終わり」は誰にでも平等に、そして唐突に訪れるというのを痛感させられた。日々を過ごしていると、これからも同じような日常が続いていくのだろうと錯覚してしまうが、将来の予測は誰にも出来ない。そして病気の余命宣告もその例外ではなく、余命を全う出来る保証は無いことに気付かされた。
また、映画の題名「君の膵臓をたべたい」という言葉に込められた意味と解釈は複数あり、映画を見ていくとそれが明らかになっていくのも本作の見どころである。正反対の性格の2人がお互いの人間性に憧れ、惹かれていく様子は見ていて切ない。一日一日を後悔の無いように大切に過ごそうと考えさせられる作品である。